2012年8月30日木曜日

3. 具体的な授業の例1

(ア) 「赤い背中~原爆を背負い続けた60年~」を見る

2005年8月9日(火)、「被爆60年企画」としてNHK総合テレビで放映された52分の番組である。1時間の授業で見るために45分程度に短くし意見を書く時間を確保する。
背中を真っ赤に焼かれ、うつ伏せで横たわる60年前の自身のカラー写真を名刺に印刷し、核廃絶を世界に訴え続けている谷口稜曄さん(76歳)。癒えることのない背中の痛みを抱えながら訴え続ける谷口さんの戦後を見つめたビデオは多くの事を教えてくれる。
広島・長崎での被爆の真実を、現在進行形で学ぶことができる。被爆者が何を求めてどのように行動しているのかを学ぶことができる。何より、「何のために歴史を学ぶのか」、「何のために生きるのか」を高校生に強烈に問いかける内容である。
「赤い背中~原爆を背負い続けた60年」は、NHKティーチャーズ・ライブラリーとして、DVDを無料で貸し出されている。ライブラリーには、「原爆の絵~市民が残すヒロシマの記録~」もある。

「赤い背中~原爆を背負い続けた60年」の視聴プリントは次の内容である。このプリントを記入しながらビデオを見る。

1. 谷口稜曄さん(76歳)の妻の栄子さんは何に気をつけているか。それはなぜか。
2. 谷口さんの背中は何ができないか。
3. 谷口さんは何をしていて被爆したか。
4. 被爆した谷口さんは何と叫び続けたか。その闘病生活は何年続いたか。
5. 谷口さんの背中を覆っている瘢痕には何がないか。何ができないか。
6. 長崎で被爆し生き残った人は何人か。谷口さんが被爆体験を語るきっかけは何か。
7. 谷口さんはどのような姿勢で車を運転するか。
8. 新婚旅行で谷口さんの背中を見た栄子さんはどうしたか。
9. 谷口さんがアメリカを訪問したのは何のためか。ニューヨークで何をしたか。
10. 谷口さんの背中に何ができるか。これまでに何回できたか。
11. 感想を書いてください。

3年生は昨年の修学旅行で長崎を訪れ、被爆者の講演を聞いている。話してくれたのが前の時間に見た「長崎の子・映像の記憶~原子雲の下に生きて~」に登場した下平作江さんであった。
彼女がビデオに登場すると、見ていた生徒から「この人知っている」「講演を聞いた」との声が上がる。ある生徒は感想に、「下平さんは修学旅行で自分たちにも原爆の話をしてもらったので、他の学校にも原爆のこと伝えていてとてもすばらしい」と書いている。被爆地への修学旅行と授業が相乗効果を発揮して学習効果が高まった。

「赤い背中」のビデオを見た生徒たちはどのような意見を持ったのか紹介する。
長崎に行き・資料館で見た・聞きたかった
2年生の時に修学旅行で長崎に行きました。原爆資料館を見学しましたが、今日見た写真がありました。その写真を見た時に受けたショックは、ものすごく大きなものでした。
「赤い背中の少年」の写真を原爆資料館で見ました。60年以上経った今でも谷口さんの背中を治せないのがくやしい。
あの写真の人が生きているなんて思っていなかった。放射能が人間の体をここまでダメにするなんて思ってもいなかった。
谷口さんにも長崎へ修学旅行で会って話を聞きたかった。
同世代・リアル・衝撃・ズキズキ
谷口さんは、自分と同世代の時に被爆したので感情移入しやすかった。
赤い背中のカラー写真を見て、一気に原爆がリアルに感じられた。今まで、どこか原爆を空想上のもののように思っていたが、全て現実なんだという事を痛感させられた。
谷口さんの背中の写真を見て、これまで見た中で一番ひどい写真と言ってもおかしくないほどの衝撃を受けた。
谷口さんの背中を見て自分の背中がズキズキした。
あの写真を見て、心を動かされない人はいないと思う。
強い人・感動・体を張っている
自分に何かできないかを考えて行動できる谷口さんは本当に強い人だ。
谷口さんの、自分の体の痛みを押し殺してまで、遠出をして訴え続ける姿に感動。
生きているだけで苦しいのにそれでも生き続けて非原爆のために体を張っている。
支え・夫婦の愛
稜曄さんが今までこうして生きてこれたのは、栄子さんの支えがあったからで、これからも原爆の恐ろしさを未来に伝えて。
栄子さんも毎日谷口さんの背中に薬を塗ったり、料理もちゃんと谷口さんの体重を増やさないように作ったり、この夫婦の愛はすごい。
見て・知って・伝え・語り続ける
谷口さんは今も痛みと戦って生きようとしている。この映像をもっとたくさんの人々に見てもらいたい。
アメリカの人々に少しでも「赤い背中」について知って欲しい。
苦しいはずなのに、原爆の悲劇を若者に伝えていこうとしていて感動。
私達には何ができるのだろう…。そうだとしても若い人に原爆の悲惨さを伝える谷口さんの事を自分は尊敬する。
原爆の本当の恐ろしさを伝えられるのは谷口さんのような被爆した人達だけだと思うので、これからも頑張ってたくさんの人に伝えて欲しい。
谷口さんには長生きして原爆の体験談をこれからも頑張って欲しい。
今まで、原爆でひどいケガを負って生き残った人々の事を、辛い思い、痛い思いをしてかわいそうだという風に思っていました。しかし、実際に被爆した人々はそんな事を感じて、言って欲しくて被爆体験を語り継いでいるのではない事を知りました。これからもし、被爆体験のお話を聞く機会があれば、とらえ方を変えて聞いてみたい。
被爆した人々が多く亡くなっている中、生きている我々若い人の仕事は、被爆した人の話を聞き、後の子どもに伝えることだ。
現実を受けとめ、後に語り続けることが、世界から原爆をなくす第一歩になる。
怒り・罪・責任・反省
原爆を落とされ、被害を受けて苦しんだ人が、60年たった今もなお苦しみ続ける人がいることに驚き、そして原爆に対しての怒りを覚えました。
今も原爆で被爆し苦しんでいる人がいる事をよく知り、アメリカには罪を感じて欲しい。アメリカは一番核兵器を持ってはいけない。
被爆者は原爆を作った人、作らせた人などに強い恨みを誰でも持っており、原爆を作り、落としたアメリカは責任を取るべきだ。
谷口さんのように今も原爆が原因で苦しんでいる人がいるのに、被害を受けていない、加害者側であるアメリカによって核兵器を減らすのも無くすのでできないでいる。アメリカは自己中心的で悪い国だ。原爆を落とした事を反省していないのか。アメリカが変わらないと世界は変わらない気がする。
政府がむごすぎるや子どもには見せられないとか言っているのが信じられない。そのくらい恐ろしい事をやった事を知るべきだ。核兵器を持っている国が持つなと言っても説得力がないのは子どもでも分かる。
NPT・非核化・原爆や核が無くならないのは…
NPTの会議の内容を見ていると原爆の廃止の事よりも相手が原爆を持っているかいないかの内容になっていて、会議に意味がなくなってしまっている。5年に一度という回数も少ない。
核拡散を防止するため、もっと有効な話し合いをして。
原爆や核が無くならないのは、日本が国をあげて反対運動をしないためと、アメリカが自国の安全のために原爆を手放せないためだ。
アメリカが一番先に代表として核を無くせばいい。
もっと日本が非核化に向けて他国を引っ張っていかなければだめ。

多くの意見は、長崎の資料館で見たことと重ね合わせ、被爆者に共感し、原爆投下への責任を問い、非核化に向けた展望と決意を語っている。こうした意見を共有することが、原爆について考える視野を広げ、「非核平和の世界をつくる」(実教出版の教科書 『高校日本史B 新訂版』 P.241)ことにつながる。

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